生と死
数日更新をさぼりました。
その久方ぶりにアップした記事の
タイトルが少々意味不明で(重々しくて)すいません。
忘却してしまわないように、記録することにしました・・・・・。
先週、4/4(水)の夜半、実家(静岡)に行っていた妻から電話がありました。
「20:30に(母が)亡くなりました・・・・・」
そう、妻が不在にしていたのは、母(私の義母ですね)(以降母)の
看病付き添いに行っていたのです。
58歳という早すぎる死でした・・・・。
母は昨年の9月に胃ガンの為、胃の2/3を摘出する手術を受けました。
その時は結局、小腸の大半も一緒に摘出したそうです。
スキルス癌というタイプのものだったそうです。
その予後は割と良かったようで、退院後は体調も良く
家事もこなし、散歩を日課にしたりしていました(ウォーキングが趣味)。
2月にツーリング帰りに寄った時、寒いとちょっと調子が悪いようなことを
言っていましたが、日常生活に支障が出るほどではなかったようなので
妻と私はそれほど深くは心配せず、春休みに遊びに行こうか、と話していました
(妻の7段飾りをチビ達に見せたい、と母が言っていたこともあり)
ところが、3/19に再入院したとの連絡が(義)父(以降父)から入りました。
検査結果は3/20か21に出るとのことで、妻を行かせました。
その時の話では再手術で患部を全摘し、人工肛門をつけることで
一ヶ月後には自宅へ帰れるくらいには回復出来るでしょう、との話でした。
そして、3/27に再手術、その結果は、
手の施しようがないほど転移していた、ということでした。
もう自宅へ帰ることは叶わないでしょう、という医者の説明を妻から聞きました。
3/29、30と急遽休みを取り、母の見舞いに向かいました。
ところがそこに居たのは、やせ細ってはいるモノの意識も口調もしっかりとした
今まで通りの母でした。退院して普通に生活をするためにリハビリすらしていました。
元来、前向きな性格らしく、元気になって帰る、という気力に溢れていました。
3/30、新学期の準備もあるため、妻とチビ達を連れて一旦帰宅し、
妻は4/1に付き添いのため再度病院へ向かいました。
チビ達は私と私の実父母で見るから一緒に居なさい、ということで。
この時点ではまだ意識も口調もしっかりとして、受け答えも出来ていたようです。
事態が急変したのは、4/4の深夜零時。血圧が70を切った、との連絡が病院からあり、
父と妻は初めて病院に泊まり込みました。
そして妻の弟を急遽名古屋から呼び寄せ(4/4の夜に帰る予定だった)、
弟が4/4の昼頃に到着したときは、会話が出来たそうです。
15時頃から血圧、脈拍とも計測が難しくなり、家族と友人が見守る中、
4/4 20:30頃に亡くなったそうです。
その連絡を受けた私はすぐ向かうべきか悩みましたが、
翌日4/5が上のチビの始業式だったこともあり、
母もそれを済ましてゆっくり安全に来ることの方が喜びそうな気もしたので、
始業式の終了と帰宅を待って、4/5に妻の実家へ向かいました。
実家に着き、対面した母は、少し笑顔の穏やかな表情を浮かべていました。
見聞きしている末期ガンの患者の様子は
「苦痛で苦悶の表情を浮かべている」「痛み止め(モルヒネなど)で意識が混濁」
「死後も苦しそうな表情もしくは無表情」などと聞きますが、
母は、医者、看護師、父、弟、妻、何れにも苦痛を訴えず、
モルヒネなどは投与しないまま、逝ったそうです。
人には
「我慢強い人だから我慢してたんじゃないか?」と言われましたが、
医者曰く
「我慢できるようなものではない」そうです。
だから、ほんとに痛くなかったのでしょう。
そうでなければあの表情でいることは無かったと思います。
死の直前まで家族・友人と会話ができたこともあるのでしょう。
再入院、再手術からわずか10日程度だった、というのも
人の手を煩わせるのが好きではなかったという、母らしいエピソードです。
4/5、6と自宅で家族(父妻弟)と布団を並べて眠り、
4/7、8で通夜、葬儀を執り行い、
下のチビの始業式が今日だったので、私は夕べチビ二人と先に帰宅しました。
妻は今日一日後片付けを手伝って、帰宅する予定です。
まさに自分の日記(記録)なので、通夜、葬儀の様子も書いていきたいと思います。
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
そういう事情があったのですね。
義母さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
投稿: haru | 2007/04/09 21:34
こんばんは。
つつしんでおくやみ申し上げます。
ご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: Y's | 2007/04/09 21:36
お悔やみ申し上げます。
スキルス癌では仕方なかったのかもしれませんが、若い方の癌はやりきれないものがあります。
投稿: とま | 2007/04/10 02:58
すてむさん
大変残念な事です。
謹んでお悔やみ申し上げます。
同時に
危険な趣味を持つ我々は
自ら周囲を悲しませる事にならぬ様
良く自覚したライディングを心がけましょうね。
投稿: s_boldor | 2007/04/10 08:30
お悔やみ申し上げます。
うちも先日義父を失くしているので、若くして亡くなった親族としてお気持ち察します。
当分バタバタしてしまうと思いますが、すてむさんは
奥様のケアをしてあげてくださいね。
(でも、今でも十分すばらしいと思います)
投稿: bibi | 2007/04/10 10:02
みなさま、ありがとうございます。
haruさん>
ありがとうございます。
そうなんです、そういう事情だったんです。
さすがに書くわけにもいかなかったので(^^;)
Y'sさん>
ありがとうございます。
とまさん>
ありがとうございます。
あらためて調べてみて、ちょっとショックです。
s_boldorさん>
ありがとうございます。
そうですね、自戒ですね。
以前よりは大人しいつもりですが・・・
bibiさん>
ありがとうございます。
忙しい人達(夫婦とも)なので
「定年になったらなんかしようかねぇ」と考えていたのですが、
それが叶わぬ事になったのが辛いです・・・。
実家の親戚筋は妻さまに対して、
「男衆ばかりだからしょっちゅう来てやらんといかんよ!」
と言ってましたが、
それだけはちょっと勘弁して欲しいもんです(^^;)
投稿: すてむ | 2007/04/10 21:49
お久しぶりです。
私も、15年前に母が癌で亡くなりました。
当時の記憶は薄れつつありますが、病室で最後を看取ったところは、鮮明に憶えています。
奥様は、精神的に疲れているでしょうから、フォローしてあげて下さい。
謹んでお悔やみ申し上げます。
投稿: はむすけ | 2007/04/11 01:10
はむすけさん、こんにちわ。
ありがとうございます。
妻にとって2週間一緒にいれて、最後の瞬間に立ち会えたことが
一番良かったようです。
まだバタバタしているので大丈夫のようですが、
四十九日が終わるとガクッと来るかもしれませんね。
投稿: すてむ | 2007/04/12 08:52
こんばんは。
僕も父をがんで亡くしてまして、ご心中お察しいたします。
そして、心よりお悔やみ申し上げます。
投稿: くまごろう | 2007/04/13 20:19
はじめまして。
ER-6N、ヴェルシスの事を調べててこのBLOGへたどり着いたのですが…。
お義母上同様、この1月末に実の母を58歳の若さで送ったばかりです。病気は癌性髄膜炎というものでした。
臓器に癌が見られず(病理解剖しても原発はわかりませんでした)、「ちょっと具合が悪い」と入院してから6週で、あっという間に…、でも安らかに逝ってしまいました。
四十九日の法要の2日後、自分は事故ってオ-トバイを失い、「ま、母さんも心配してたことだし暫くガマンしよう」と思いつつも、次期マシンの物色に余念がない毎日です(笑)
すてむさんも、(無理だと分っていますが)奥様もお気を落とされぬよう。頑張ってください。
投稿: 智輔 | 2007/04/22 17:40
くまごろうさん、こんにちわ。
亀レスすいません。
コメントありがとうございます。
身近な人の葬儀はやはり辛いです。
投稿: すてむ | 2007/04/23 17:40
智輔さん、はじめまして。
ありがとうございます。
ERとVersysの情報探していて
こんな記事を読ませてしまって申し訳ありません。
辛い事を思い出させてしまいました・・・。
お互い危険と隣り合わせの乗り物に乗る者同士、
コレ(バイク)で家族を悲しませない様にしましょう。
投稿: すてむ | 2007/04/23 17:43